2020年1月27日月曜日

「豊かな心を育てる小中学生の意見発表会」2年生湯浅くんの発表


 125日(土)エコーセンター2000で「豊かな心を育てる小中学生の意見発表会」に網走一中代表として2年生湯浅くんが出場しました。この日に向けて読み方や感情の伝え方を何度も練習を重ねて,本番では素晴らしい発表となりました。湯浅くんの発表の内容をご紹介いたします。

「あの日,あの時」  2年A組  湯浅 天鵬

 第六感。あなたは信じますか?
 辞書にはこうあります。「視覚や聴覚などの5つの感覚以外の,理屈では言えないが,何かを鋭く感じる心の動き。類義語として,勘や霊感,直感。」
 第六感。一つの例え話に僕の経験を紹介します。小学3年生から僕が習い始めたバレーボールの先生は,恐らく,僕がこれから出会う先生を含め,一番厳しく,一番優しい先生だと思います。
 そんな先生に,僕が小学四年生のクリスマスの頃,大腸ガンが見つかりました。先生は,入退院を数回しましたが,その度に僕はお見舞いに行きました。でも,僕は「みんなが行くから行く」という感覚で,義務的に,なんとなく行っていました。
 先生に会ったからと言って,特別,何かを話すわけではなく,ただただ,聞かれたことに返事をする程度でしたが,僕にとってはそれで良かったのでした。
 先生は体調も安定し,病気をしている事も感じさせない程,元気そうに振舞っていました。一瞬治ったのかと錯覚するほどでした。
 また入院したと,聞いたのは僕が中学校に入学した年の夏でした。僕は,新しい中学校生活を送り始め,部活動も毎日のようにあり,忙しい中,いつお見舞いに行けるのか想像もつかないような状態でした。
 そんな中,ある土曜日のことでした。部活動が終わり,久し振りに家でゆっくりしていると,ふと先生のことが頭に思い浮かんだのです。
 「そうだ,お見舞いに行こう。」
 直感でした。でも一瞬,「別に明日でも行けるけど…。」とも思いました。先延ばしにしようか,どうしようか少し考え,しかし,やっぱり行こうと思い立ち,母にお願いして,2人で病院に向かったのでした。
 病室へ入ると,先生の体の周りには,以前より管の数が増えていきました。でも,相変わらずクールな先生がそこには居ました。先生と母はいつも通り楽しそうにおしゃべりをしていました。母と一緒の時は,この2人の会話を黙って聞くことが僕のいつもの役割でした。
 ただ,いつもと違ったのはこの後でした。帰ろうと,話をまとめかけた時,引き止めるかのように,先生は話を続けだしたのです。
 そして,今まで聞いたことのない先生の昔話をいくつも聞きました。僕は僕の知らない先生の一面を知って,少し嬉しかったりもしました。
 外が暗くなり始める頃,先生の息子さんがふらっと病室にやって来ました。また,病室に笑いが沸きましたが,先生も疲れただろうと思い,僕らは病室を出ることにしました。
 「先生またねえ。」
 これが先生との最後の会話となりました。この翌日,先生の体調は急変し,もう2度と会えなくなってしまいました。
 先生が無言の帰宅をしたと聞き,僕は先生の家へ行きました。息子さんが言いました。
 「湯浅さんが最後に会った人でした。」
 僕はまさかこんなことになるとは思っていませんでしたが,あの時病院に行くことを先延ばしにしなくて良かったと,心の底からそう思ったのでした。
 人には,このように理屈では説明できないが何かを鋭く感じるということではないでしょうか。
 そして,それはあながち外れではないと思うのです。
 ほ乳類としての本能なのか,人間としての本能なのか,正直,僕には分かりません。
 ただいずれにせよ,誰もが必ず持っている能力であるに違いないとも思うのです。
 大切なことは,2つあると僕は思います。
 1つ目は,感覚を研ぎすましておくことだと思います。人,物,本など,あらゆる出会いを大切にし,会話や言葉に感じ,考えながら生活をしていくことが必要です。第六感は自分次第でみがいていけるのではないかと思うのです。
 2つ目は,その第六感と思われるものをどれだけ素直に受け止め,それをどれだけ行動に移せるかだと思います。
 「あの時,一瞬思ったんだよなぁ。」とやり過ごすのではなく,
 「やっぱりこういうこと,だったんだ。」と,謎解きを繰り返し,その感が鈍らない様に過ごしていくことが大切です。
 僕はこれからも,今の僕では気づけない,先生の最後の日に会えた本当の意味を見つけていきたい。
 「あの日,あの時。」
 このタイトルも,直感で突然浮かんだ言葉ではありますが,きっとこの作文を書く事は,何か大きな意味があるに違いないと信じています。